【死因:病気?】森田童子が死去!現在は西荻窪?素顔の画像は?結婚⇒旦那あり

こんにちは。KENです!

今回は森田童子(もりた どうじ)さんを取り上げます。

森田童子さんといえば、シンガーソングライターとして広く名前が知られています。

彼女がメジャーデビューしたのは1975年の時。

同年にリリースされたシングル「さよなら ぼくの ともだち」で音楽キャリアをスタートさせた彼女はライブハウスを中心に活動。

森田さんの出演するライブハウスは多くの観客が訪れ、大きな話題を集めました。

1983年を最後に音楽活動を休止したものの、1993年に放送されたドラマ「高校教師」「僕たちの失敗」が起用されたことで再び彼女の人気に火が付きました。

これまで数々のヒット作を生み出してきた彼女ですが、ここに来て死去していたことが明らかになり世間の注目を集めています。

森田さんの訃報に際してTwitter上では次のような声が上がっています。

JASRACの会報に森田童子さんが今年(2018年)の4月24日に亡くなったと掲載されていると。

演劇の音楽をつくってもらったことがある。

お世話になりました。
哀悼。

森田童子死去って、
もっと大きなニュースになっても良いのではないか。

ええええ森田童子亡くなったん!!!!!

「僕たちの失敗」などで知られる森田童子が4月末に亡くなったという。
65歳

現在の時点では彼女の訃報はメディアでは報じられていません。

しかし、JASRACの会報に森田さんの訃報が掲載されていることから、彼女が死去したことは紛れもない事実でしょう。

今回は65歳で死去された稀代のシンガーソングライター、森田童子さんについて調べてみました!

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森田童子が死去!死因は病気?生前は持病があった

65歳で死去された森田さんですが、気になるのは彼女の死因です。

現在の時点ではメディアによる報道も確認されていないため、「死去した」という事実しか判明していません。

ただ、生前の彼女は持病を抱えていたようです。

森田童子さんは今どうしてますか?

現在の詳しい情報は分からないのですが、
ご自身の持病もあるようで、
今後も音楽活動を再開する予定はないだろうと言われてました(TーT)

※「Yahoo!知恵袋」より引用
(2011年7月1日投稿)

しかし、得られているのは「持病を抱えていた」という情報のみであり、具体的な病名については不明です。

もしかしたら、この持病が森田さんの死因に関係しているのかもしれません。

2018年6月12日追記
その後の報道により、森田さんの死因は心不全であることが報じられました。

「ぼくたちの失敗」などで知られるシンガー・ソングライターの森田童子さんが、
4月24日に心不全で死去していたことがわかった。

※「ORICON NEWS」より引用

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森田童子は結婚して旦那あり!子供はいる?

1983年を最後に音楽活動を休止した森田さんですが、彼女が自身のプライベートを明かしたことは1度もありませんでした。

ただ、私生活では既に結婚しており、家庭を持っているようです。

当時のマネジャーさんと結婚されて専業主婦になっておられ、
復帰はないと本人もコメントをだしてあります。

※「Yahoo!知恵袋」より引用
(2011年5月22日投稿)

自身のマネージャーと結婚していた森田さんですが、旦那さんの素性は公表されておらず、また、子供(息子・娘)の有無も明かされていませんでした。

現在は西荻窪在住?素顔は公表されてる?

最期まで秘密主義を貫いていた森田さんは、音楽関係者の前ですらサングラスを外さなかったと言われています。

そのため、彼女の素顔が公になったことは1度もありません。

ちなみに、ネット上で森田さんの素顔を検索すると、以下の画像がヒットします。

ただ、これは森田さんではなく、山崎ハコさんであり、全くの別人です。

関係者でさえ素顔を知らないとされる森田さんですが、風の噂によると、素顔は”とびきりの美人”であるとされています。

僕は森田童子さんを知ったのはつい最近の事なのですが、
あの歌声を初めて聞いたとき小さくて可愛らしい人物を想像しました。

やっぱりギャップがすごいですよね。

ですがサングラスを外すと、
とびきりの美人らしいですよ。

※「Yahoo!知恵袋」より引用
(2013年5月27日投稿)

数々のヒット作を生み出し爆発的な人気を誇った彼女の魅力は、歌手としての実力は言わずもがな、ミステリアスな雰囲気も要因なのかもしれません。

引退後の私生活も明らかになっていないものの、彼女について検索すると「西荻窪」という話題が持ち上がっていました。

引退後は西荻窪に住んでいるのかと思いきや、これは同地が彼女にとって所縁の地だったことが理由のようです。

ライブハウスの隆盛期の終わりといわれた昭和50年より
森田童子は、ライブハウスコンサート活動を開始した。

西荻ロフト、甚六屋、
屋根裏、宇都宮仮面館、
両国フォクロア、新宿ロフトと4年間、
連日、観客が入り切らないという驚異的な観客動員を続けた。

※ブログ「森田童子~徒然なるままに語る~」より引用
(2011年7月2日投稿)

西荻窪は森田さんの原点であり、またファンにとっても聖地だったのです。

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