【日大タックル】アメフトコーチ,井上奨の経歴!内田正人監督の家族は?画像あり

こんにちは。KENです!

今回は井上 奨(いのうえ つとむ)コーチおよび内田正人監督を取り上げます。

井上 奨

内田正人

日大アメフト選手によるタックル問題において、”渦中の人物”として取り沙汰されていた上記2人ですが、ここに来てタックルを指示していたことが証言され大きな注目を集めています。

このことについて2018年5月22日に配信された「サンケイスポーツ」は次のように報じています。

アメリカンフットボールの日大の選手が6日の定期戦で危険すぎるタックルで関学大のQBを負傷させた問題で、
負傷させた日大のDL宮川泰介選手(20)が22日に東京都内で記者会見し、
内田正人前監督(62)、
井上奨コーチからの指示があったことを認めた。

宮川選手は

「相手のQBを1プレー目でつぶせば(試合に)出してやる。

つぶして秋のリーグ戦に出られなかったらこっちの得だろう」

と証言した。

ためらったが、
試合数日前から闘志不足を理由に練習から外されており

「ここでやらなければ後がない。
やるしかない」

と思い、
試合当日に内田前監督に対し

「つぶしにいくんで使ってください」

と伝えたと説明した。

これに対して、
内田前監督は

「やらなきゃ意味ないよ」

と念押ししていたことも明かした。

井上コーチからは

「思いきりいってこい」

といわれ
試合前に整列時には

「『できませんでした』じゃ済まされないぞ。
分かってるな」

と念を押されたという。

タックルを実行した宮川選手は、井上コーチと内田監督の指示を証言しましたが、内田監督に至っては関与を否定していました。

両者の意見は真っ向から食い違っているものの、世論を聞く限り、宮川選手を擁護する意見が圧倒的多数を占めています。

今回は日大タックル問題で渦中に立たされている井上 奨コーチおよび内田正人監督について調べてみました!

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日大アメフトコーチ,井上奨の経歴!過去には〇〇ビデオに出演?

内田監督と共に宮川選手にタックルを指示した井上コーチですが、そもそも彼はどんな人物なのでしょうか?

現在の時点では本人のWikipediaも存在していないため、井上コーチに関する情報は体系化されていません。

ただ、彼の経歴については以下の情報が確認されています。

宮川泰介を日大フェニックスに誘ったのはコーチの井上奨(30)、
日大豊山高校アメフト部監督と兼任。

そして、
日大スポーツ科学部の教務課職員でもある。

高校の時から指導してきた秘蔵っ子を、
日本一を目指すチームに呼び寄せた、
そして目が届くスポーツ科学部に入学させた。

(2018年5月16日ツイート)

上記の通り、井上氏は日大でアメフトのコーチを務めながら、豊山高校でもアメフト部の監督として後進の育成に注力していたようです。

さらには、日大の職員としても勤務しており、彼は自分の人生をアメフトに捧げていました。

しかし、井上コーチには上記以外にも“黒い経歴”が噂されていたのです。

それが〇〇ビデオへの出演です。

この疑惑について2017年4月13日に掲載された「敬天新聞」では次のように述べられています。

内田は、
裏就職で事業部に就職し、
今では三軒茶屋キャンパス教学サポート課勤務で、
豊山高校アメリカンフットボールの監督にまで栄転した井上奨が学生時代に〇〇ビデオに主演した時、
何の責任も取らなかった。

また、この疑惑はフライデーにも掲載されていました。


(2013年9月6日号掲載)

フライデーでは疑惑の人物を“X君”と報じていたものの、先の敬天新聞により「井上奨」だと判明したのです。

同誌によると、こうしたスキャンダルが掘り起こされたのは、日大の経営を巡る権力争いが原因だと言います。

2018年現在、日大の理事長を務めているのは田中英壽(たなか ひでとし)氏です。

日大の経営を巡ってはいくつかの派閥が存在していますが、現実としては“田中一強支配”が続いていたのです。

そして、井上コーチを指導していた内田監督も田中派に属していました。

そのため、反・田中派の人間が今回のスキャンダルを告発することで田中氏の失脚を狙ったというわけです。

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タックルを指示した内田正人監督の経歴!家族(嫁、子供)はいる?

井上コーチと共に宮川選手にタックルを指示した内田監督の経歴がこちらです。

日本大学 豊山高等学校 卒業後、
日本大学に入学した。

日本大学ではアメリカンフットボールに打ち込み、
篠竹幹夫の指導を受ける。

日本大学 卒業後、
自身の母校である日本大学 文理学部 職員となる。

1978年より
日本大学アメリカンフットボール部のコーチを務め、
1990年の毎日甲子園ボウルで優勝。

2003年に監督に就任。

2016年度に勇退したが、
翌年(2007年)監督に復帰した。

※Wikipediaより引用

内田監督はスパルタ指導で有名であり、選手の中にはその過酷さに耐えられず、退部する人間もいたと言います。

このことについて2018年5月19日に配信された「HUFFPOST」は次のように報じています。

毎日新聞によると、
内田監督は「スパルタ指導と巧みな戦術」を組み合わせ、
学生アメフト界を席巻した故・篠竹幹夫元監督の系譜を継ぐ指導者として知られている。

「試合を戦い抜く走力を養うため、
練習前に計2500ヤードに及ぶダッシュを課した。

厳しさに退部した選手もいた

という。

また、OBの証言によると、内田監督は自身の意にそぐわない選手は、たとえ実力者であっても試合には出さなかったと言います。

今回、宮川選手は反則技であるタックルを指示されましたが、彼がそれを拒否できなかったのは内田監督の人柄を誰よりも理解していたからでしょう。

内田監督の経歴については上述した通りですが、彼の私生活は一切公表されていないため、結婚歴や家族(嫁、子供)の有無は分かっていません。

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コメント

  1. 風の又三郎 より:

    内田が日大卒業後は布団の行商をしていて、
    お金が無く監督の居ない合宿所に来ては
    学生に昼食を作らせて食べていました。

    故・篠竹監督が不憫に思い日大の職員にしたのですが、
    2度試験に落ちた内田に篠竹監督は身銭を切って商品を購入して
    関係者を回りやっとの事で文理学部にはいったそうです。

    その後、
    大恩人の篠竹監督を彼は追出す事になります。

    家族は息子が2人いると思いますが?

    2人とも日大だと思います。

    したの子は課題も提出しないで日大芸術学部を卒業しています。

    ゼミの先生は御立腹だったそうです。

  2. 服部 より:

    長男は日大ではないですよ

  3. 服部 より:

    長男はTK大学ですよ