【死因は?】死去した栗城史多の来歴!結婚や嫁,子供はいる?

こんんちは。KENです!

今回は栗城史多(くりき のぶかず)さんを取り上げます。

栗城史多さんといえば、登山家として広く名前が知られています。

これまでマッキンリーチョモランマなど世界最高峰の山脈を登破してきた栗城さんですが、ここに来て突然の訃報が報じられ世間の注目を集めています。

今回の訃報を伝えた事務所によると、彼は8度目のエベレスト登頂中死去されたとのこと。

しかし、現在の時点では詳しい死因は公表されておらず不明です。

彼の死去について2018年5月21日に配信された「TBS NEWS」は次のように報じています。

世界最高峰エベレストに単独・無酸素で挑戦していた登山家の栗城史多さん(35)が登山活動中に亡くなったことがわかりました。

栗城さんは先月27日、
ベースキャンプに到着し、
エベレストの登山ルートの中でも最難関といわれる「エベレスト南西壁」に単独・無酸素で挑戦していました。

支援者によりますと、
栗城さんは22日に頂上へのアタックを予定していましたが、
体調が悪くなり、
20日、
第3キャンプ近くの標高7400メートル地点から下山を始めた後、
連絡が取れなくなったということです。

(中略)

詳しい死因はわかっていません。

報道機関によると、栗城さんは低体温症だったことが明らかになっていますが、これが直接的な死因なのかは不明です。

今回は35歳で死去された登山家、栗城史多さんについて調べてみました!

スポンサーリンク

登山家,栗城史多が死去!結婚や家族(嫁、子供)はいる?

35歳で死去された栗城さんですが、果たして家族(嫁、子供)はいるのでしょうか?

彼の経歴やWikipediaを調べてみても、結婚歴や家族に関する情報は一切掲載されていません。

ただ、ネット上では「結婚している」「結婚していない」と相反する情報が確認されているため、栗城さんの私生活は不明です。

本人が私生活を公表していない以上、結婚歴の有無は不明ですが、「結婚している」と主張する人間は以下の情報を根拠にしていると思われます。

エムアイディスプレイ
@midisplay

電話に出ないとキレる嫁を持つ男の日記:
登山家 栗城史多 大学 が気になります^^

http://bit.ly/bdNlvX

(2010年4月14日ツイート)

上記では「嫁を持つ男の日記」と共に「栗城史多」の名前が表記されています。

これを理由として彼が「結婚している」と主張しているのでしょう。

しかし、「嫁を持つ男」と栗城さんは全く別の人物であり、「電話に出ないとキレる…」はブログのタイトルなのです。

つまり、「電話に出ないとキレる嫁を持つ男」はブログ主のことであり、栗城さんのことではありません。

彼の奥さんや子供の有無は不明ですが、過去には結婚を考えていた女性がいたようです。

その女性は栗城さんよりも2歳年上であり、当時は彼の地元である北海道に住んでいました。

交際当初から栗城さんは結婚を考えていたものの、2年間交際した末に「あんまり好きじゃなかった」という理由でフラれてしまったのです。

当時のエピソードについて2016年11月17日に放送された「J-WAVE NEWS」は次のように掲載しています。

登山を始めたきっかけは

「彼女にフラれたから」

だそうです。

もともと、
山には興味がなく、
東京に出てきてやりたいことに挫折をしてニートになった…

そんなときに2つ年上の彼女が地元の北海道にでき、
結婚も考えていたそうです。

「(結婚相手は)車を持っていて、公務員がいい」

という彼女の期待に答えるために北海道に帰って大学に入り、
アルバイトで車を買ったものの、

「2年間付き合っていたけど、
あんまり好きじゃなかった

とフラれたそうです。

結婚を考えていた彼女にフラれたことで彼は原因不明の熱にうなされたようです。

約1週間はベッドの中で寝たきりの状態だった栗城さんでしたが、「何かやらないと」と一念発起して取り組み始めたのが登山でした。

これはフラれた彼女が山岳部の所属していたため、「その人の世界を覗いてみたい」との想いが背景にあったようです。

スポンサーリンク

栗城史多の来歴は?

8度目のエベレスト登頂に挑戦するなど生前はアグレッシブな人生を送っていた栗城さんの来歴(経歴)がこちらです。

経歴および学歴(高校、大学)

栗城 史多(1982年6月9日 – 2018年5月21日)は、
日本の登山家、起業家。

株式会社たお代表取締役(個人事務所)。

北海道 瀬棚郡 今金町出身。

北海道 檜山北高等学校
札幌国際大学 人文社会学部 社会学科 卒業。

登頂記録

2004年6月
・マッキンリー6194m単独登頂

2005年1月
・アコンカグア6959m単独登頂
(ポーランド氷河ルート)

2005年6月
・エルブルース5642m単独登頂

2005年10月
・キリマンジャロ5895m単独登頂

2006年10月
・カルステンツ ピラミッド4884m単独登頂

2007年5月
・チョ・オユー8201m単独・無酸素登頂
・7500m地点からスキー滑降

2007年12月
・ビンソンマシフ4892m単独登頂

2008年10月
・マナスル8163m単独・無酸素登頂
・山頂直下からスキー滑降

2009年5月
・ダウラギリ8167m単独・無酸素登頂
・6500m地点から生中継に成功
・6500m地点からスキー滑降

2009年9月
・エベレスト北側8848m 
メスナールート7750m地点まで

2010年5月
・アンナプルナ8091m 
7700m地点まで

2010年10月
・エベレスト南側8848m 
7550m地点まで

2011年5月
・シシャパンマ南西壁8027m 
7600m地点まで

2011年10月
・エベレスト8848m 
サウスクロワールルート7800m地点まで

2012年6月
・シシャパンマ南西壁8027m 
6500m付近から滑落したが生還

2012年10月
・エベレスト8848m 
西陵ホーンバインクーロワール8070m地点まで。
強風により両手、両足、
鼻が重度の凍傷になる

2014年7月
・ブロードピーク8047単独・無酸素登頂

2015年10月
・エベレスト8848m 
エベレスト8150m地点まで

2016年10月
・エベレスト8848m 
エベレスト7400m地点まで

※公式サイトより引用

スポンサーリンク

最後までお読み頂きましてありがとうございます!
少しでもあなたのお役に立てる情報があればこれほど嬉しいことはありません。
次回のご訪問を心よりお待ちしております。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする